沖縄とは感情論で戦後処理をするべき

改訂版 高等学校 琉球・沖縄の歴史と文化
新城俊昭
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沖縄県の米軍北部訓練場のヘリパッド移設工事の現場で、工事に対して抗議する人々に対して「どこつかんどんじゃ、ぼけ。土人が」「黙れ、こら、シナ人」などと言った発言をした大阪府警の警察官2人が戒告の懲戒処分になった。

それに合わせて、松井知事の発言も火に油を注いだ。

「表現が不適切だとしても、大阪府警の警官が一生懸命命令に従い職務を遂行していたのがわかりました。出張ご苦労様。」

というツイートは多くのメディアやジャーナリストの批難の的になった。
土人と言う言葉には、「原住民」の響きがある。

この「土人」「原住民」と言う言葉は、学術的にはおそらく問題の無い言葉だが、それを人間に対して使うとき、「文明レベルの高い人々」と「文明レベルの低い人々」という境界線を作り出してしまう。

それを「被害者意識」と片付けるのは簡単だ。

これはイジメと同じ構造である。

他の子供もイジメられる。お前だけをイジっているんじゃない。被害者意識だ。

そういう考えと同根である。
しかし、他人の感受性に問題をすり替え、自らの言動を省みないのは良くない。

少なくとも現代の日本においては、沖縄人を「土人」とみなすような「教育」は行なわれていないはずである。

これは中国や韓国に対するヘイトの意識も同様だ。

ただ、「教育」は行なわれていなくとも「情報」は存在する。

平均所得、学校偏差値、離婚率、離職率、貧困率など、多くの社会的問題が沖縄には間違いなく存在する。それらを全部ひっくるめてしまうと「日本の落ちこぼれ」のようになり、発展途上国のように思ってしまう人もいるのだろう。

「歴史認識」という言葉があるが、沖縄がずっと辛い歴史を送ってきたことよりも、琉球が長らく中国との朝貢関係を大事にしてきたことを重要視し、嫌っている人もいるだろう。

納めている税金が、沖縄のためにたくさん流れていることを不服に思う人もいるだろう。

私がそう思うわけではないが、感受性の問題にされないためにあえて文字にしてみた。

そういう考えがあることを理解した上で、モラルを大事にせよと言うのである。
モラルは道徳心だ。
道徳とは何か。善悪をわきまえ、正しいことをなすための規範だ。
道徳には、教育がきちんと存在する。

現代の道徳の基本は「人権の尊重」だ。

これをきちんと考えて言葉を選べないと問題になるのだ。

沖縄の問題は、土地の問題や経済の問題ではない。

感情の問題がずっと多いのだ。

土地を奪われ、家族を奪われ、生活を奪われた。

その行き場のない感情をどう処理するかという問題なのである。

補償というのは、その処理を助けるために行なうものだ。

しかし、補償の方向は、感情を持たない「沖縄県」という機構に向けられた。
それが多くの支援金や特例制度である。

これらは県民の生活に寄与するが、各人には補償には映らない。

感情の処理を助ける言葉も、なかなか聞くことができない。

だからもつれるのだ。
沖縄にプロ市民や海外からの支援が集まって反対活動を支えていると言う。

沖縄の友人に言わせると、

「それは気持ちの良いことではないが、理解しない人々よりマシ」

であり、感情の処理を助けてくれるだけマシなのだ。

また、

「定期的に足を運べないだけで、参加し反対している人は多い」

とも言う。

本土のマスコミに誤解を招く表現や情報が多いことを、
現地の人々は感じている。

情報源が全国ネットのテレビやインターネットという若者は、
的外れな発言をしていることもあるが、
現地に根付いた生活をしている人はそういうマスコミの態度に辟易している。
沖縄の問題を解決するのに、もう経済は必要ない。

必要なのは、本当に「かわいそう」と思い、寄り添うことだ。

戦うのではなく、慰めることだ。

お金ではない。言葉だ。態度だ。

そういうことを、もっと理解する必要がある。

基地問題や経済の問題は、その象徴に過ぎない。

それで沖縄が不況になるかもしれないが、その時は国として支援したらいい。

その時、本当に沖縄も支援に感謝するだろう。

沖縄の戦後処理名目のような支援はもう終わりにし、モラルのある言葉をかけよう。

 

沖縄と差別
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