【書評】「騎手の一分--競馬界の真実」&「直感力」

先日、競馬と将棋の最先端を走ったプロフェッショナルが書いた本を読んだ。

騎手の一分――競馬界の真実 (講談社現代新書)
藤田 伸二
講談社
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直感力 (PHP新書)

直感力 (PHP新書)

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羽生 善治
PHP研究所
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思った以上に、内容が尖っていた。

やはり、専門家には専門家の世界があると感じるしかない。

突き詰めると、勝負の世界にいながらも美学というものがきちんとあり、騎手と言われる人、名人と言われる人、そういう人々は何かしらの精神性、それを技術をもって表現している。だから、結果だけでなく、実績者に対しても好き嫌いがあり、それぞれに尊敬の対象がある。単純に実績だけではない。

競馬の世界にもプロ野球やプロサッカーのようにエージェント制があるなんていうことは私は知らなかった。何でも代理人ビジネスの時代だ。便利といえば便利だが、それによって旧来の何かが壊れているという点は否めない。そして日本の競馬の競技レベルが上がっていて、もはや海外に出走しに行く意味は無いのではないかという藤田氏の意見は海外挑戦をありがたがる素人の私には驚きだった。

また、羽生氏の言うように、日本の将棋の源流は交易にあったというのも私にとっては発見だった。直観力の本題とは違うが、やはりこういう人は見ている観点が違うのだなぁと感じ入ったのである。昔は玉将しかなかった。王将は無かった。金、銀、桂、香、すべて交易の商品だった。なるほど、の一言である。それと戦うイメージが結びついて歩兵など色々と出てきたのであろう。囲いの種類からも戦しか考えることができなかった私はこのことに一番関心した。

専門家が専門家であると感じる一番のポイントは、その分野を文化として見ることができているところだ。仕事ではない。勝負ではない。それに加えて、文化として芸術として、何かを見ている。それを通して何か、社会に影響を与えようとしている。これがプロフェッショナルということなのだと思う。

私はアマチュアのゲームや本もよく見る機会がある。しかし、その多くは文化や芸術ではない。悪い意味での模倣と刺激にあふれている。時間泥棒をすることで自分の存在を認めさせようとしている。そこには新しいものの提案は見られないし、優れた精神性の発露はない。ただ機能を満たし、作りたいものを作れればいいという情熱だけがある。コンピュータのコードで言うならば、コードの美しさや総容量には目もくれず、ひたすら機能があればいい、そういう仕事の仕方だ。これがアマチュアということなのだろう。

ただ仕事ができる人から、本当のプロフェッショナルになるためには、こうした表現ができるようにならなければならない。多くのフリーライターたちと新聞・雑誌記者たちとの差も、こういうところに多くあるような気がしてならない。

異業種の専門家に触れてみて、共通して感じる高次元なものはいつも私たちに至極の感動を与えてくれる。そういう経験は最近の日本では少なくなってきているのではないだろうか。それだけ、日本にプロフェッショナルが減っているのならとても寂しいと思ってしまうのである。

騎手の一分――競馬界の真実 (講談社現代新書)
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