2013年8月13日 高知新聞記事より① 「敗戦 我々の責任ではない」

「敗戦 我々の責任ではない」

A級戦犯 ラジオ番組で語る
57年前の音源発見

旧日本陸軍の荒木貞夫大将ら4人のA級戦犯(いずれも故人)が自らの戦争責任などについて語ったラジオ番組の音源が、このほど見つかった。番組の中で4人は「敗戦はわれわれの責任ではない」「戦争中にあったことをいつまでもグズグズ言うのは間違いだ」などと述べている。番組のプロデューサーだった水野繁さん(92)=奈良市=は本紙の取材に「憲法改正を望むなど4人の姿勢は、今の安倍内閣に相通じる点がある。国民の置かれていた状況が戦前と同じになっていないか、危惧している」と語った。

番組は「マイクの広場 A級戦犯」で、約30分間。関東地方をエリアとするラジオ局・文化放送(東京)が1955年に録音し、56年4月に包装した。音源は最近、水野さんが知人から託された。
番組では荒木氏のほか、橋本欣五郎氏(元陸軍大佐)、賀屋興宣氏(開戦時の大蔵大臣)、鈴木貞一氏(元陸軍中将)の4人(いずれも判決は終身刑、それぞれ55年6~9月に仮釈放)が取材に応じ、私見を述べている。
橋本氏は、日本の敗戦を国民に謝罪すると述べる一方、「外国に向かって相済まないとは、一つも思っておらない」と語っている。
賀屋氏は「敗戦はわれわれの責任じゃない。けしからんと言って、(A級戦犯に向かって)憤慨するのは少し筋違いじゃないか」と発言。鈴木氏は「世論が(戦争反対の方向に)はっきりしていないから(戦争は)起こっている」とし、当時の日本の指導者層に責任はなかった、と話している。
一方、A級戦犯への批判的な意見として、広島市の被爆女性、治安維持法違反で身柄を拘束されたこともある本県(高知県)出身の経済学者、故有沢広巳氏らの声も収録されている。
文化放送によると、「マイクの広場」は50年代に放送されていた。水野さんによると、主にニュースの背景を探る内容が放送されていたという。

民主主義考える契機に
右傾化に危機感じ制作

元プロヂューサー 水野繁さん

-「A級戦犯」を取材しようと考えた理由はどこにあったのでしょう。
「企画を練り始めた(1953年)ころ、A級戦犯の釈放の動きがありましたが、彼らを犯罪人ではなく、名誉ある日本のために尽くした人とする傾向が強くなっていました。多くの政治化たちがそういう方向で活動し、その政治家たちが憲法改正を掲げる。民主主義を否定する空気です。こりゃ、まずいんじゃないか、と。」
「その当時、右派的な人たちはこぞって、『もとの教育勅語が必要だ』『(戦後制定された日本国憲法とは別の)新しい憲法が必要だ』と言い出して。政治の世界でそういうことが広がっていたわけです」
-A級戦犯の肉声にこだわり、放送する意義は。
「ラジオを聞いた人たちがどう思うか。投げ掛けたかった。それに尽きます。A級戦犯の声をきちんと出し、(それに批判的な)有沢(広巳)さんらの声も紹介しました。民主主義について、具体的に何が大切かを考えてもらいたかったからです」
-番組では、「民主主義」にこだわっていますね。
「民主主義が実現していれば、言いたいことが言えるし、最低限の生活が保障できる社会になると考えています。一人一人が相手を大切にする、基本的人権を尊重するということを実現したかった、と」
-取材時、A級戦犯の様子は。
「どなたも確信を持っているので、悪びれた様子はありませんでした。『自分の言いたいことを放送してくれるならそれでいい』と嫌がらずに応じてくれた」
-あの番組の製作者として、今の日本の状況をどう見ますか。
「今、目の前には、戦争したいという人がうようよしています。そして、権力を持っています。国民の置かれている状況が戦前と同じようになっているんじゃないか、と思います」
-昨年末の安倍政権発足後、憲法改正に向けた動きも強まっています。
「(憲法調査会を内閣につくるための法案が審議されていた)1956年3月16日の内閣委員会で、公述人として出席した戒能通孝・東京都立大教授は『(憲法改正では)国民の主権の存在をどうするのかの問題が第一に出てくる。主権の所在を移行させる憲法改正となると、これはもう改正ではない。革命なり反革命なりということになる』と述べています
(※同氏は1956年3月16日の内閣委員会で、主に以下の数点を理由に憲法改正論にくぎを刺している。
(1)内閣は行政機関であり、憲法の忠実な執行者でなければならない。内閣には元来、憲法に対する批判の権限がない。
(2)国務大臣は憲法擁護の義務を負う。その者が憲法を非難、批判するのは論理矛盾であり、間違い。
(3)基本的人権、つまり法律によって制限できない思想、言論、表現、結社の自由を認めないと、政治体制の決定権が国民に存在しないことになる。これらに制限を加えてはならない。
(4)不戦は日本国憲法の基本。これに変更を加えることは、憲法改正にとどまらず、(体制の)変革だ。)

安倍内閣も同じです。憲法改正を掲げることは、革命を企てているということにならないか。そういう懸念があります」
-番組制作から50年余りになります。聞き直して、どう思いましたか。
「A級戦犯は昔のことじゃないかと、受け取る人もいると思います。何で今更、と。だけど、これは靖国(神社合祀)の問題にもつながるし、現在の憲法改正論にもつながっている。A級戦犯の『教育勅語に戻ろう』『昔の(明治)憲法の方がいいんだ』という発言は、現在の政権と相通じるものがあります。A級戦犯の人たちが当時言っていたことが、今は、一般の人たちにも新党してきたんじゃないか、と」

制作の経緯

「マイクの広場 A級戦犯」のプロデューサー、水野繁さんによると、取材は1953人7月に始まった。「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」の衆院可決に合わせての企画だった。
制作は文化放送教養部が担当。同年8月にA級戦犯19人(逮捕時の不起訴を含む)をリストアップ。その全員に取材を申し込んだ。
その結果、15人が内閣情報調査室を通して断ったり、病気を理由に親族が断ったりした。取材に応じたのは、荒木貞夫氏ら4人。放送された番組は約30分間だが、収録は1人2~3時間に及んだという。
56年4月の放送後、大きな反響を呼び、当時再放送もされた。

水野さんの資料によると、取材を断ったA級戦犯と理由は次の通り。(敬称略)
【病気を理由に親族が断った】岡敬純、畑俊六、嶋田繁太郎、大島浩、佐藤賢了、星野直樹
【内閣情報調査室が断った】平沼麒一郎、南次郎、岸信介、木戸幸一、児玉誉士夫、正力松太郎、鮎川義介、真崎甚三郎、天羽英二

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