「絶歌」が早く出版停止になることを祈る

絶歌

絶歌

posted with amazlet at 15.07.02
元少年A
太田出版
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考えがなかなか整理がつかなかったこの本について、そろそろ私の見解を述べようと思う。

私は宗教に関わる話題でライティングをしている。それゆえ、いろんな宗教の考え方や哲学というのは耳にすることが人よりもはるかに多く、そして事件や事故の背景については様々に考えるし有識者の話も聞く機会がある。

その私がこの本に対して下す評価としては、「なぜ出版されたかわからない」。

時代が違えば焚書に遭い、弾圧に遭い、歴史から亡き者にされるべきもの。別に焚書が正しかったとか弾圧することが良いことだというわけではない。だが、社会的正義から考えると一般の人々に流通すべき本ではないと考える。

商品のリンクをつけるべきかは悩んだが、上記は私の私見であり何かを煽動する位置にも立場にもいないので、哲学したい人の材料とするため、本のリンクはつけておくことにした。

さて、以下は私の感想だ。

はっきり言って「気持ち悪い」

頑張って全部読みはしたが、読みながら「気持ち悪い」と感じた。

たとえて言うなら、エヴァンゲリオンのラストでアスカが口にする「気持ち悪い」。

「完全な拒絶」が私の中を駆け抜けた。

異常な精神状態に至るまでのプロセスの根を、「最愛の祖母の死」や「死と性」などに求めているのだが、すでにそうなることに異常があると感じる。少なくとも、元少年Aの個人的分析に過ぎず、専門家の診断でもなければお墨付きもない。

根拠薄弱なものを論拠にして、自分の物語を紡ぎ出し、人間としての苦悩と苦痛をちゃんと感じてきたことが記録されている。

到底、受け入れること、共感することができない感情ばかりだ。それらは異常性なのである。これらを受け入れることは人間理解でも多様性でもない。

どこかで誰かが「誰もが、自分の子供が、少年Aになる可能性を秘めている」というようなことを記事に書いて、この本の中身について考える必要があると言っていた。

確かに人間であれば可能性はあるだろう。

しかしそれは、現代の日本で雷に打たれて死ぬような可能性である。

すなわち「当たろうとしなければ当たらない」程度のものである。

玉手箱やパンドラの箱のような、空けてはならない箱を空けるから問題が起こる。その可能性をゼロに限りなく近づける方法は、この手の本や情報を根絶することである。そして、その情報に経済的価値を一切つけないことである。

経済的価値については、「サムの息子」法が日本に無いことが問題だという議論もされているが、まさにそうだと感じる。このような内容の本で、出版社や著者が経済的に利益を得るなら、猟奇殺人犯→猟奇作家のロールモデルができあがってしまう。日本はかつての戦争を教訓とし、命を大事にする国としての姿勢をこういうところから示すべきであると思う。

反省を感じない

この本が被害者遺族に何の許可も無く出版されたというのも問題だし、元少年Aが自分で認めているように「自分の存在のために書いた」という動機も問題だ。自分の立場がわかっていない。

少なくとも、書くには書いたらいいが、出版社から出版する必要は無かった。

文章も稚拙で厨二病的な表現に満ちている。元々遺族に対しての謝罪を中心に執筆しているのでないから仕方ないのだろうが、その現実感の無い雰囲気が時折見せる人間らしい感情も嘘っぽく見せてしまっている。

文章を読めば、苦しんでいるのは感じる。

ただ、反省の色は期待するほど見えない。

こういう手記を人々がどういう興味をもって見るだろうか。①猟奇殺人犯の精神状態や方法論に興味がある人。②そういう殺人犯が、真に反省して更生して生きる姿に興味がある人、の二種類くらいではないだろうか。私は②だ。そういう点では、完全に裏切られた気分になった。

人生は物語である。それは誰にでもそうであり、否定できない事実である。

しかし、命を奪うことで物語を奪った者が、自らの物語だけを紡いで生きることは許されないのではないか。

どうして人を殺してはいけないのか。また、どうやって償っていくべきなのか。

そういう全人類的な問題の前に、「理屈でなく、とにかく苦しくなるからダメだ」というような結論を下すのは正しいようで間違っている。安易な逃げだ。たかだか10年そこらで考えることをやめていい内容ではない。

Amazing Graceという歌があるが、元々はキリスト教の賛美歌で奴隷商人が嵐の中で助かって神の存在を感じ、自らの行ってきたことを悔い改めて改心し、神を伝え人を助けて生きるようになったというエピソードがある。

そのように、自分の生の中で奪った以上に命を守り、命を大事にし、誰かの物語を大事にする姿勢を持たないといけないのではないのだろうか。遺族や被害者の物語に対する尊厳を全く感じない。

命に対して、まだまだ軽薄であると言わざるを得ない。

出版社の責任は大きい

そして、出版プロセスが不透明であること。

これも気持ち悪い一因である。

これを元少年Aが持ち込んだのだろうか。それとも出版社が打診したのだろうか。

あとがき部分を読んでも、普通はあるはずの「今回の出版にあたり尽力してくださった太田出版、編集を担当してくださった●●さん、etc~に感謝申し上げます」的な結びもない。これだけの読書量なら、実際に様式美としても書くことができただろうし、文中に度々登場する歌詞の引用などに引用元がしっかり載っているあたり編集や校正作業は確実に行われているはずだ。お世話になったのだからそう書くはずである。

この部分について、出版社が確信犯的に削除した可能性が高い。

その理由は勿論、責任逃れ、何かしらの問題の責任を追及された場合に元少年Aに全ての責任を負わせようという考えではないだろうか。

太田出版からのリリースもすっきりしない。

【「絶歌」の出版について - 太田出版】

引用するにもすっきりしない長い文なので、引用はしないが、加害者として社会に体験を提出する義務があるなら、資料として専門家にだけ配布されればいいのである。

この本を読んでわかる、少年犯罪発生の背景とは何だったと言うのだろうか。

到底理解しがたい。

この本は、善良な心で更生を願った人々を落胆させ、こうした猟奇的な行為にある種の憧憬を抱く人々のバイアスを強くさせるようにしか思えない。世に出ること自体に著しく問題があると言わざるを得ない本である。

「絶歌」が早く出版停止になることを祈る。

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