日本人は宗教にお金をかけるべき

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池上 彰
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先日、はてなの匿名ダイアリーで、「日本で悪しき宗教にはまってる人によくある特徴」という記事が書かれ、その後投稿者が全文を削除して悪態を書き残して失踪。

こういうマッチポンプを行う人がネットの世界に多いことを否定できない。

そして、いつもこういう煽りの対象になりやすいのが中国・韓国・宗教である。

日本人はとかく、この手の話題に並々ならぬ嫌悪感と好奇心を持っている。

yahooニュースの海外ニュースのランキングはほぼ韓国か中国だ。

週刊誌はネタに困ったらスキャンダルか宗教記事だ。

困ったらそれをネタにしたらいい。少なくとも、一定数の味方と敵を確保できる。敵でも味方でも、注目されなければそもそも商売ができない。そういう風に考えているから、困ったときの中国韓国宗教である。もう北朝鮮はかつての勢力を失いつつある。今なお、危険な輝きを見せるご三家のキラーコンテンツはいつも「陰謀説」である。

日本では幼年期から多くの陰謀をたくらむ秘密結社が悪役として脳に刷り込まれるので、正義に燃える人は陰謀という言葉を聞くと急に声を荒げて叫び出す。

先日、沖縄に行った際に驚いた。ガードレールにこんな落書きがあるのである。

「翁長(知事)は朝鮮人」

100%沖縄の人である。ちょっと調べればすぐわかることだ。

要するに、「沖縄での新基地建設に反対」→「日本の防衛力の低下」→「翁長は売国奴」→「翁長は実は朝鮮人で、日本侵攻の布石」というような理屈なのだろう。もはやバタフライエフェクト並の誤解である。そもそも彼は一時期は基地建設に賛成の姿勢をとっていたこともある。政治思想で国籍は変わらない。

そして、そのようなことが雑誌記事などで報道されると、驚くことに信じる人がいるのである。メディアリテラシーが低すぎる。親戚にもいて悲しくなった。

さて、先の「日本の悪しき~」では「勧誘を受けながらも逆に自分の知識で返答と質問をしていったら、答えられなかった宗教勧誘の人が逆ギレした」というような内容だったのだが、その内容などから「勧誘をした人がどの団体なのか」までコメントで特定されるという、インターネットの世界らしい光景が見られた。知識や経験がこういう場で共有されるのは好ましいことである。

しかしながら、一つ問題に感じるのは悪意ある情報も多いことである。

その最たるものはカネと性に関する問題だ。

宗教は、というより信仰は清いものだ、という考えがある。それは正しい。

それゆえ、その道を踏み外せば徹底的な批判を受ける。それは間違いない。

しかし、それが過剰になり宗教はタダであるという錯覚が生まれている。多くの宗教には教義に基づく正当な寄付・献金の形があり、それを知らない外部の人々が悪と呼ぶことがあまりに多い。

また、セックス宗教と揶揄される宗教がいくつかあるが、それはそれで彼らの教義にもとづく同意の上での行為が行われている。

もちろん、カネや性の問題について、狂信者たちによる強制的な行為が行われたり、それを否定することで災厄があるというような脅迫の事実があればそれは否定されるべきだろう。これらは人間の尊厳と生活に関わる重要な問題だからだ。しかし、知らない人があれこれ言うものではない。

人々はよく言うのである。

「危険と思われる宗教について警鐘を鳴らし、そうした宗教の被害に遭う人が出るのを未然に防ぐ」。

大義は立派だが、そのための雑なコラ写真や加工された音声、映像、捏造されたと思われる記事がメディアで流れていることが非常に多い。煽りである。そうした煽りに踊らされて強制捜査を行い、何も問題の証拠が出てこなかったケースも宗教関係には多い。ムダ骨も多いから、警察もそれほど動かないし関わりたくないと思っている。

さて、本当に宗教被害を未然に防ごうと思うなら、必要なのは警鐘ではなく教育なのである。なぜなら、警鐘は聞いてすぐに頭から消える。教育されたものは、自分の生きる力となって消え去らない。

では、続けて警鐘を鳴らし続ければいいのか。そういうわけではない。なぜなら、宗教というものは生きた人間の集まりだからである。更生もするし、反省もする。教義も時代が変われば変わっていく。だから、数年前の警鐘が今も当てはまるかわからない。むしろ、的外れな警鐘は訴えられる要因となってしまう。

だから、ちゃんと教育をして、宗教とは何か、それをちゃんと考えさせることである。「人生の悩み苦しみから逃れるためのもの、神をあがめるもの」という単純な理解でなく、宗教にも歴史があり文化があり、救済にいたるまでの方法論、生活の中での儀式、宗教団体を維持するための組織や経済の仕組みなどがあること、その宗教活動によって個人の生の価値が上昇しなければならない、など、基本的な教育をしなければならない。また、そうした超自然的なものが人間にとって必要か否かを考える機会なども与えなければならない。

少なくとも、諸外国では宗教の発生は人類歴史上の大きな変化として、人間を人間足らしめる一要因として重要視されているし、WHOの健康の定義でも一時期「Spiritual(霊的な)」健康という表現が検討されたほどである。日本では道徳という項目があったが、道徳はおおよそ倫理、人間理解というヒューマリズムであり、宗教とは少し違ったものである。宗教というものについて考え学ぶ機会が必要だ。

だからちゃんと教育をしようといいたいのである。宗教本は多いが、まともに宗教について教え考えさせるような本は売れない。陰謀論が書かれている本は売れる。ちゃんと宗教を知るところにお金をかけないと、いつまでも宗教はSF扱いだ。

そうしなければいたずらに誤解ばかりになり、陰謀をたくらむ秘密結社と誤解する人が後を絶たなくなる。このくらいの教育であれば、学校教育の範囲としても問題がないのではないか。

「変なところに行くなよ」というカルト教育では、宗教について考えることを拒む人が量産され、その人に必要な霊的救済の機会を逃す可能性がある。宗教は必要な人には必要だし、不要な人には不要なのだ。

イエスは言った。「丈夫な人には医者は要らない。必要なのは病人である。」そのように、宗教が必要な人がいる。精神や見えない世界に何らかの問題を抱えていると思われる人はいる。そういう人は救済されねばならないし、救済された人、救済されつつある人が、それなりの対価(寄付・献金)を支払うのは自然な流れである。そして、それが自分の救済観を強いものにする。自分が何もせず状況が好転することについて、人は何かしらの負担感を抱くからだ。自分が状況を好転させるために何かしたということが、自信にもなり心身を安定させる材料にもなる。

正直に言って、中国や韓国の問題にはそれなりに教育もするしお金もかけられているが、宗教に関しては興味はあるけどお金を使いたくないと考えている人があまりにも多い。

安い情報は気をつけた方がいい。安い食品に添加物が多く毒になるものも多いように、安い情報には添加物がたくさん入っている。個人の落書きみたいな到底信じられない情報すら、塵も積もれば山となって、私たちの脳にインプットされて考えを作っていく。たとえば先ほどの「翁長は朝鮮人」みたいに。

だから、日本人は宗教にお金をかけるべきなのである。

タダより怖いものは無い。

昔の人はうまいことを言ったものである。

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