レトロな雰囲気が心地よいフリーRPG「ユトレピアの伝説」を考察する

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今回はレトロな雰囲気が心地よいフリーRPG「ユトレピアの伝説」を紹介する。

【ユトレピアの伝説(作者ブログ)】

ユトレピアの伝説は、あいまいに始まる。

ゲームの始まりは、簡単なキャラメイクの後、主人公パーティーは王様の前にいて、急に冒険に放り出される。
何度か話しかけてやっと魔王(実在するか不明)を倒す目的と、いるだろう場所の情報が入手できる。
ここから町々をめぐりながら、問題を解決して進むわけなのだが、そうする中で世界について少しずつ全体像が理解できるようになっていくのである。
一応、最終的に倒すべき魔王らしきものはちゃんと存在しているのだが、人々の誰もが魔王を気にしていないし、魔王に起因する問題は何ひとつ起こっていない。

ユトレピアの伝説

 

ユトレピアの伝説

さて、ゲームシステムはDQライクなグラフィックデザインに、FF1、2のシステムを乗せたという感じである。
武器や魔法の熟練度システムは面白いが、敵のレベルバランスの問題もあって結局特化したもの以外はほとんど使うことが無い。消費MPも少ない上にMPもガンガン伸びるので、MP切れは魔力を吸収されなければほとんど起こらない。宿屋縛りプレイもできそうだ。

ユトレピアの伝説

 

ユトレピアの伝説

ゲームとしてはそれほど長くなく、初見でも6~7時間でクリアできるのではないかと思う。探索で手に入るアイテムもそれほど多くないし、隠し材料も少ない。コツがわかれば3時間内でもエンディングまでたどり着けるだろう。

エンディングは(おそらく)二種類用意されていて、世界の成り立ちについて考えさせられるものとなっている。

このゲームの素晴らしいところは「情報量が少ない」ことと「自由度が高い」こと。

「情報量が少ない」というのは、それだけ絞っているということだ。昔のファミコンのように、容量の都合で泣く泣くカットしたというようなものではなく、積極的に情報を減らしたということである。そして、世界観をギリギリで構築できるようなテキストで町の人々が情報を提供してくれる。
後述するが、これがこの世界について考察したくさせるのである。

そして「自由度が高い」こと。
(成長時にはレベルアップと表示はされるが)レベルという概念がないので、自分がどれくらい強くなったかが少しわかりにくい。そして、最初から終盤の町にも行ける(瞬殺されるけど)など、自由にフィールドを動きまわることができる。そして、攻略上不要なイベントも実は多いので、どんどん省略して進むこともできる。そういう自由度の高さがこのゲームにはある。

攻略は、「さらさまどう」と「りきし」がいれば何とかなる。
私は適当におまかせでキャラメイクをしたら、狩人2人さらさ1人りきし1人だった。なんとかなる。
ちょっと「~のまじゅつし」が強いくらいで、何とかなる。

チャート的にはこちらのサイトを参考にすると良い。

ダンジョンは片っ端から回ってもそれほど疲れない。
かみなりのとうのホームだけが少し苦労するかもしれない。左上の墓から右に数えていって、13番目が正解ルートで、右端にあたったら改行して23番目の墓が宿屋だ。そして、バラモンだらけの部屋で休んでいるはぐれバラモンが探している相手だ。何度も話しかけよう。

そして、エンディングに関わる分岐としては「かみなりのまじゅつし」を倒した後、魔王がいるかいないかの選択での「はい」「いいえ」の回答。両方試してみて、この世界が見えるという感じである。
さて、このゲームは考察を余儀なくされるゲームである。
そもそも主人公たちは何者なのか。冒険の目的は何だったのか。この世界は何だったのか。誰もこの世界がユトレピアだとは言わなかった。敵キャラに「ゆとれぴあ」なる存在がいるだけである。そして、てつがくしゃ、ばらもん、まじゅつし、彼らは一体何なのか。すいもんとは何なのか。きれいな世界とは何なのか。
ゲームが終わっても謎は解けない。この謎を解くために、再度世界を回りたくなる、そういうゲームである。

ここからは、このゲームを考察してみようと思う。少し長くなるのと、ネタバレを含むので、気になる人はブラウザやタブを閉じることをおすすめする。

まず、このユトレピアという世界。あちこちで推測されているように「ゆとり」+「ユートピア」の造語ではないかと思われる。
「ゆとり」が生んだ「ユートピア」。
「ゆとり」とはこの現代社会における「ゆとり世代」、つまり若者たちである。ナンバーワンよりオンリーワンを目指すという社会目標の中で育ったがゆえに、他者との交わりが比較的薄く、それゆえ現実感に乏しく自分の殻の中で生きることが多い人々である。
彼らが生んだ理想郷、それがこのユトレピア世界だ。
このユトレピア世界の特徴は、世界の大事な問題に対して無関心で、自分の身の回りの問題が一番大事なことだ。魔王のことより、身近な問題。たとえば、らっこによる人攫いの問題。町長としての仕事よりも、自分の娘の病気の問題。こういうことが問題である。そして、それに対して他者からの救いの手を求めている。自分では立ち上がらない。「ぼうけんしゃだろ?」で仕事を振ってくる。人々が総ゆとりなのである。
まさに最初に王様が言うように「人類は終わった種族」なのだ。ゆとりの社会に対する諦めが見えるようである。

そして、主人公たち「ぼうけんしゃ」はゆとりをそこから出すために遣わされた「誰か」である。それは友人でも恋人でも尊敬できる人でも誰でも良いのかもしれないが、無言で問題を解決しながら、ゆとりたちと関係を築いていく。

ゆとりの特徴は「てつがくしゃ」「ばらもん」たちに表れる。まず趣味が合う者たちでひたすら群れる。そして、かみなりのまじゅつしが揶揄しているように、彼らは議論しているようで何も議論などしていない。答えのない問いに対してひたすら思い悩み、それで時間を浪費して生きている。ばらもんたちは急いで魂を救わねばと祈っているが、信仰の対象も不明であり、そして彼らに救う力もない。まじゅつしの作り出した世界でもがいているだけである。

さて、エンディングに見る、事の顛末を考えてみよう。

少女は夢を見ていた。世界がほろぶ、かなしい夢。魔王ではない。世界は望んで滅んだ。しかし、その世界はとてもきれいだった。何かから開放されたように自由で、きれいで、そしてとても悲しかった。そのきれいさが悲しく思えた。
そして、夢から覚める前。誰かが水門の鍵を開いたのを見た。水がとめどもなくあふれて、目が覚めた。
起きてみると、水がとめどもなく流れていて、世界がほろぶとは考えにくかった。

わいんという医者の男は夢を見ていた。おそろしく巨大な龍になり、世界を滅ぼす夢。その滅ぼした世界はきれいであった。
彼は、少女の望みをかなえて一件落着だと言った。

「世界は滅ぶと思っているのではないか?そう、魔王が・・・」

医者は唐突に主人公に問う。(これがエンディングの分岐になる。)
この世界は滅ばない。魔王はいない。そう言えば、一人の少女の見る夢の続き次第だという言葉で締めくくられる。
この世界は滅ぶ。魔王はいる。すると、つれていってあげようと水門番が唐突に言う。その目で見て来いと。その水門の鍵でもう一度扉を開けと。そしてその先、ほぼ世界を一周する長く、平和な道のりの果てに、魔王と呼ばれる眠れる男がいる。彼を倒すと、彼はすべきことを思い出して出て行き王となる。主人公たちはそこで休む。そして、主人公たちは休んだ果てに魔王と呼ばれることになるのだろう。

真っ暗な世界。でも怖くない。水の流れる音がどこか遠くで聞こえる気がする。雨の音のようで、心が落ち着く。誰かが水門の鍵を開けて。それまでもう少しだけこうしていよう。

こういう物語の終結を迎えるのだが、誤解を恐れずに言うと、この物語はタイトルこそ「ユトレピアの伝説」だが、「反ゆとり」である。ゆとりからの脱却がテーマである。ゲームシステムとして昨今の「手取り足取り」ゲームでないこともだし、少女の夢世界を滅ぼそうというのがこのゲームのテーマなのではないだろうか。

少女の見る夢がこのゲームにおける世界の象徴だ。
この世界の魔王は悪事をしない。だが、この魔王は、世界を壊す可能性を持つ者、また壊すことによって新たな世界を生み出す可能性を持つ者である。別の言い方をすれば、ゆとりたちが抱える潜在的不安と希望である。一言で言えば「変化」である。ただ魔王は動かないため変化は訪れない。
魔王があってこそ勇者が現れる。勇者は潜在的不安を取り除く役割を持ち、秩序を維持するだけでなく新しい世界を創る者である。作中で主人公たちは動いて問題を解決していき「変化」を導いていく。

作中において、魔王と勇者の両者は実は一つの役割、「変化」の導き手なのである。

勇者を通して水門を開くのだが、水門というのは外の世界への門という意味合いを持っている。門を開けることで水があふれ、世界が滅びると感じるかもしれない。自分の作り出したユートピアが崩れてなくなるかもしれない。
しかし、「自分の世界にこもるな。門を開けてみよ。世界はこんなにも美しい」。それを気づかせること、それがこのゲームからのメッセージである。
それに少女が、主人公が気づいた時、このゲームが終わるのである。「魔王が問題ではない、自分が問題だ」ということである。

また、それでも魔王の存在を、「導き手による変化」を求めるなら、水門の先、ユトレピアの先で魔王に会うようになる。
その過程は険しく、幸せで、そして休むところも与えられている暖かく優しい道である。敵キャラクターが見た目や強さと裏腹に春らしい名前になっているところからも、ただの魔王ではないことが感じられる。生命力を感じられる道である。しかしその先にいる魔王は、寝ている。そして、起こすなとばかりに襲ってくる。倒すと彼はやるべきことを思い出して、勇者は休み始める。そして次の機会に向けて、世界は同じく回り続ける。そこにはおそらく変化はない。次に水門を開けてくれる人を待つのみである。
なぜなら「他者(導き手)による変化」を求めるだけなら、やはり「ゆとり」から脱却できないからである。魔王は倒すが、こちらがバッドエンディングなのである。

作中で出てくる三人の魔術師たちは、何だったのか。彼らはゆとりである人間たちをあざ笑い、世界のルールに反し、ヨンデラカンデラのまどうしたちから外れた存在だ。世界の終わりについて考える哲学者たちは、彼らが世界を滅ぼすと言っていたが、そう、彼らこそがユトレピアを脅かす危険因子なのだ。だから彼らは水門の外側やユトレピア世界の外側に身を置いていた。少女に世界が滅ぶ夢を見せながら、その時を待っていたのだ。

単純な8bit風の世界に、これだけのものを詰め込んだこのゲームは高く評価されてしかるべきだ。ゲームとしても十分に楽しめるものである。だがそれ以上にゲームを考えるという楽しみを与えてくれる。スマホやタブレットよりもポータブルで、Wiiよりもリアルな楽しみ方ができる、こういう「議論になる」ゲームがもっとあっていいのではないだろうか。

 

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