ヨガが理解できないという話

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6月21日。この日が何の日か知っている人は結構すごいと個人的には思う。

この日は「国際ヨガの日」だ。

いまや、全世界的にヨガ人口は増えている。
しかし、ヨガが何なのかよくわからないという人も多いだろう。
私はヨガはわかっているつもりだが、理解できない人である。

ということで、今回はヨガとは何なのかについて、読者に紹介もしつつ、持論も記載しておきたい。

まず、ヨガとは何か?

ヨガというのは、ちゃんと知っている人に言わせると「ヨーガ」と言わねばならない。それが正しい発音らしい。
しかしあえてここではヨガと書く。その方が慣れ親しんでわかりやすい。文字数も少ない。

さて、このヨガというのは、成立年代は不明で、インドなどでずっと昔から行われてきたものであり、その発現はインダス文明の記録にも見られているという。
この古代インドの哲学書を「ウパニシャッド」と言うのだが、このウパニシャッドによればヨガとは

「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と呼び、感覚の対象を道と呼んでいる」

とあり、肉体という車体と感覚という馬を結びつけ目的地へ到達させる(コントロールする)ことを指すそうだ。

つまり核心的に言うと、人生の目的を成さしめる方法を古代インド人はヨガと呼んだのである。

そして、そのための方法が運動や呼吸、瞑想、祈り、生活、断食・・・などと現代ヨガにも伝わっているものとなっている。

何をどう解釈して間違ったのか、某格闘ゲームのダル●ムは手足を伸ばし、火を噴き、空を飛ぶが、それは全然ヨガとは関係ない。

 

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ヨガは体操?宗教?スピリチュアル?

よく、ヨガは宗教っぽいといわれる。
確かにヨガで話している精神世界の内容は宗教っぽい雰囲気がある。
しかし、ヨガには明確な信仰対象がいないため、宗教とは異なる。
どちらかといえばスピリチュアルである。もしくは人生哲学。
現代ヨガの多くは体操に過ぎない。

では、なぜヨガと宗教は結び付けられやすいのか。
それは、ヨガが宗教の名産地であるインド地域に昔から存在していたことに起因する。

バラモン教も仏教もヒンドゥー教も、基本的にはその修行の内容にヨガを取り入れているからだ。
座禅、瞑想、呼吸法、断食、祈祷、そうした行為をもって精神修養を行う宗教が多いが、このヨガの流れを汲んでいるからである。
仏教の仏陀も人生の苦しみから逃れるために出家したが、出家して行ったことはそうしたヨガ的な修行生活だった。写経なんて仏はしないのである。
ヨガの中の行為が様々な宗教の修行として認められているからこそ、精神修養の大家としての座が与えられているのだろうし、私たちも宗教性を感じるようになっているのだろう。

現代ではヨガはただの体操の一つである。そしてその目的はヨガ的ではある。
ヨガの目的は先ほど、「人生の目的に向かってのコントロール」だと話した。その手段が肉体と感覚の合一であり、そのための手段が瞑想や体操である。
現代ヨガの目的は「心身の美容と健康」であり、ヨガ的に思えるのだが、人生の目的に向かっている感は残念ながら乏しい。せいぜい「良く生きる」ことであり、車の快適さと目的地の正確性が何の関係も無いように、美容と健康が人生の目的に正しく導いてくれる根拠は無いのである。
深遠で崇高な目的を失い、お手軽になったヨガは手段となり、道具となった。
乱暴な紹介で「アーユルヴェーダの中から宗教性を取り払ったものがヨガ」とまで言われている。それは精神性を失った健康体操でしかないのだ。しかもある程度健常な人であれば誰でも軽くできる体操で、ラジオ体操のようなものである。

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なぜヨガは人気が出たのか

そんなヨガがなぜ人気になったのか。

それはマドンナから始まり、ハリウッドの人気女優や海外セレブたちがヨガのエクササイズを行っていると公言したことに始まっている。
そして、気がつけばヨガをしている女性はセルフコントロールのできる女性、自分を絶えず高めようとする魅力的な女性として認知されるようになり、ヨガは一時のブームではなくライフスタイルと認識されるようになった。学生起業みたいなものかもしれない。

また、心身のリラックス効果が健康的なライフスタイルを求める現代人にフィットした言えるだろう。
深く呼吸する時間、世界との一体感を感じる時間、体について感じて考える時間、人間について自分について静かに考える時間はアイデンティティに悩む現代人にとって貴重な精神的快楽の時間である。また、ストレッチによる肉体的快感は健康増進効果も期待できるので心理的にも効用も高そうだ。

そして、手軽というのが重要である。
子供からお年寄りまで、ちょっとしたスペースとマット一枚あれば(無くても)できるのがヨガの魅力だという。
高度な技術が不必要で、対戦相手も必要なく、道具も要らないヨガは参入が容易だ。

これらの中には古代インド人が求めた「人生の目的に向かうコントロール」は無く、心身の健康に向かうコントロールが残るのみである。それで十分といえば十分なのかもしれないが、だからこそお手軽なヨガが理論武装して次々に沸いて出てくる。アメリカ発祥のヨガを公言するものもあるそうだ。ウパニシャッドはアメリカには無いのに名前はヨガなのだから、あまりにも図太い神経である。

また、今のヨガは「癒し」を押し出しているものも多い。現代人、疲れすぎなのだろう。
少なくとも仏陀はヨガに癒しなんて求めなかった。人生の探求は苦しい作業だったと思うのだが、そのヨガに現代人は癒されるのである。

現代ヨガに感じる違和感

全てのヨガがそうだというわけではないが、私は現代ヨガに違和感を感じている。

ヨガをトレンドとして扱い、手段として扱うが、目的が完全にすり替わっている件である。

ヨガをする人に多いのが「ふわっとした」人だ。
一言で言って、芯のない人。何をやっても続きそうにない人。そして、やや不健康な人である。

このふわっとした人たちにヨガはフィットしていると思うのだが、この人たちはヨガによって人生がそれほど変わっていない。ただ、その動機づけの多くがヨガによりもたらされている。正確に言えば、成功の原因をヨガに求めるように仕向けられている。
規則正しい生活をし、節度のある食事をし、適度な運動をすれば誰でも健康になっていく。しかし、家族や病院にはあまり感謝せず、ヨガに感謝する。
心が前向きになるには多くの要因が必要だし、体験が必要なのだけれども、一様にヨガのおかげとなる。
あげくの果てには宝くじにあたったのも仕事で昇進したのも結婚できたのもヨガのおかげだという人もいる。

人生が変わったという人もいるが、たぶん変わっていないのである。
必死でヨガ式の苦行にはげんだ仏陀ですら、それでは悟りを開けなかったのだ。
美容と健康も目的に生ぬるく誰でもできる程度のヨガを取り入れた生活をしただけの人の人生がそれほど大きく変わるだろうか。

それなのにヨガに向かって高まる賛辞・賞賛。
結びつかない因果関係をもって、ヨガが良いということを絶えず語り続ける講師たち。
すべてのヨガがそうではないのだろうが、そういうものが現代ヨガに多いというのが何とも気持ち悪い。
エクササイズとしての健康増進効果やリラックス効果は認めるのだが、そこにあたかも深い精神性があるかのようには到底思えないのである。

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