【書評】木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
増田 俊也
新潮社
売り上げランキング: 7,437

最近呼んだ本の中でも特に衝撃的だった本の中のひとつがコレ。

タイトルから既に日本人の倫理観ギリギリな気がするが、まさにそういう内容である。

最強の柔道家である木村政彦が、なぜ力道山に騙し討ちにあったと言いながらも復讐を行わなかったのか、そのテーマを追うためにその生い立ちから一生を追いかけ、また関連する人々を追ったノンフィクションである。

本編に登場する名前は格闘技界のビッグネームがずらりとならび、タイトルにも登場する力道山はもちろんのこと、大山倍達、牛島辰熊、ジャイアント馬場、ホイス・グレイシー、その他色々である。このその他には小川直也などの格闘家も含まれるが、本編においてはあまり意味を持たない。それほどまでに格闘技の世界において大きな役割を担った人物である。

175cm80kgという格闘家としては小柄ながらも圧倒的なパワーで柔道界を制した木村は、プロレスの舞台に上がるようになり、そして力道山と激突する。ブックの上では引き分ける予定だったはずが、血まみれになるまで殴打され、10カウントKO負けを喫する。その背景には、柔道をはじめとする日本の武道と格闘技を取り巻く様々な変化があった。

この作品は、格闘技という視点から戦前戦後の歴史を振り返るという意味でも非常に意味深いものとなっている。伝記のようでもあり、歴史書のような雰囲気も漂う。その渦中で、戦うことに明け暮れた彼らの人生は明と暗を繰り返しながら今に至る。

武道とは何か?プロ格闘技とは何か?スポーツとは何か?

今もなお、哲学し続けられるこの内容についても、はるか前から最前線の格闘家たちは深く考え、悩み、そして行動して、道を作ってきたのだ。ただ最強であることを示したい一心と、そして自分の立つ舞台を作るために。

今や伝説となった男たちは、人がうらやむほど強いと同時に、人が哀れむほどに愚かな男たちだった。その代表格が木村政彦なのだ。何の思想もなく、知恵もなく、ただ強さのみが備わった木村は戦争と同時に本来のステージを失い、時代の寵児である力道山と戦うことになっていくのだが、それまでの栄光とその後の没落は比べようがないほどだ。

しかし、力道山は殺され、木村は長く生きた。プロレスがブックによって展開されていることが知られてきた頃になって、グレイシー柔術の台頭によって木村政彦という伝説の柔道家にスポットが当たるようになった。

当世に全ての栄光を受けることができなかった男が、後になって評価され、当世に全てを享受した男が作った全ては年を重ねることに人々の求める最強の幻想から離れていっている。

この対照的な二人を通して語られる時代の格闘史は、スポーツとしての柔道、プロレスを見慣れた世代には奇異に見える。しかし、魂を揺さぶられ、そして鳥肌と戦慄を覚えるほどに生々しく私たちの頭の中で展開されていく。

聖書が宗教の聖典でありながらも様々な角度から読まれるように、この本も様々な角度から検証し参考にすることが可能だと推測される。その共通点は、起こったことを(口伝も含めて)そのまま記述しようとしているからだ。

興味も感想も尽きないが、言葉にならないので、ここで一旦終えることにする。

生身の人間の強さと弱さが交差する、何ともいえない歴史の味だ。

木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

■内容(最高☆5つ):☆☆☆☆☆
■価格満足度(最高☆5つ):☆☆☆☆☆

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