ISIL問題に見える宗教レッテル問題

フランスでISILによるテロ事件があったことに対して、訳知り顔で「宗教対立を背景に~」とか「欧米は強行手段に出るだろう」のように論じている人は多い。

しかし、残念ながらISILによるものはあまり宗教対立とは関係がない。
これは政治的な問題であって宗教の問題ではない。

下手に宗教の部分を刺激しないでもらいたいと私は常々思っている。
宗教アレルギーの強い日本人はこうした言葉を聞くとすぐに宗教に対して偏見を持ち、宗教をもった人との関係を拒絶しがちだからだ。

 

宗教対立というのは、①同一宗教内と②宗教間の二種類がある。

イスラム教は、その成立過程において国家と切り離すことができない。

イスラム教における原理的な考え方では、イスラム法によって統治される国が理想形として存在しており、それを思想としてマホメットの時代から国作りにいそしんだ。その結果、指導者のあり方を巡ってスンニ派とシーア派に分かれて今に至っていて、イスラム法を中心にした国がいくつかできている。

ISはそうした国々に見られる、現在のキリスト教国主導の国際体制や国際法に縛られた状態をよしとしない。簡単に言えば、「外部の影響を受けたイスラム教国などイスラム教国ではない」と考えているので、自分たちの納得いくレベルでのイスラム教国を建てたいという考えを持っている。そのために軍事・経済・法律・外交などあらゆるものを一つの国家のように構築している。はっきり言って、無いのは国家という承認くらいだ。もっとも、私としてはその思想の出所は本当に信仰なのかと疑いたくなる心がある。

現在の国家単位は基本的に地域もしくは民族であるので、「気に入らないから」という理由で独立国家を宣言して武力で建国することはできない。今は戦国時代では無いのだ。だから、彼らに国家の承認が下りることはまずありえない。

すでに存在するイスラム諸国も、国土と国民を持っていかれることは避けたいし、その独立を認めることは彼らの思想を肯定することとなってしまう。よって容認できない。

イスラム教の中においては、宗教上の思想の問題という点が無くはないのだろうが、ちゃんとした宗教人であれば、国際協調という考えが広まった現代では、イスラム原理主義の思想をそのまま当てはめるべきではないことはちゃんとわかっている。

 

また、宗教間の対立と言う人もいるが、これは歴史を振り返るほどに宗教の対立ではないことがわかる。

宗教の対立であれば、論破し、祈り合い、その教勢の拡大を競えばいいからだ。

しかし、歴史を遡っても、そんな対決が行われたことはほとんどないと言っていい。宗教団体に属したことがある人はそんなことはないと言うかもしれないが、本稿で話しているのはそういった話ではなく、このような武力行使や土地の獲得を伴うような話である。

かの十字軍ですら、国家間の対立に宗教の違いを利用しただけであることが今日の歴史では常識となっているし、キリスト教で言う神の国が武力によってできるキリスト教国家ではないことはイエスの行いを見れば自明であり、良識ある当時の宗教人の多くはきっと呆れていたに違いない。

今までの歴史にあったのは、あくまで「キリスト教圏の国々vsイスラム教圏の国々」であって、「キリスト教vsイスラム教」などでは断じてない。宗教はいつも、そうしたグループ内の団結力を高め、相手との違いを明確にするために用いられた。これは今日の多くの人が使うような「宗教的背景」などでは決してない。背景とは原因になるものであり、それはこのケースでは決して思想や教理ではない。

「違い」があることによって争いが起こっているのではなく、気に入らないことの解決のために争いが起こり、その争いをするための力を得るために「違い」が強調されるのだ。ここを間違うから、誤解が生まれるのだ。

 

また、「欧米」というが、今日においてヨーロッパとアメリカは基本的には全然考え方が違う。あくまで、国際協調の体制の中で協力していることがあるだけで、今ではお互いにライバル視しているところがある。「欧米」とまとめて呼ぶのは、「中東」と言われてイスラム教をイメージしてしまうように、宗教的括りによるレッテル貼りである。

 

話をもとに戻すと、ISILの行動は基本的に

「気に入らないから国を作るぞ」
→「認められないなら闘争だ」
→「欧米の犬に成り下がるのか、イスラムの同志よ、立ち上がれ」

そういう感じだ。ここには宗教の問題は無い。

日本で言えば「税金高くなったから、オレ独立して国家になるわ」と言うようなもの。誰も国家として承認してはくれまい。

憎悪を煽り、連帯意識を高めるために好んで相手のことを宗教で括る、それはマスコミや国の指導者たちの常套手段だ。

だが、そんな風潮に乗って「イスラム国」などという呼称にするから善良なイスラム教の人々まで変な目で見られるのだ。

日本がグローバル化するのであれば、そういった感性をきちんと持った方が良い。宗教に対して理解がないから、疑心暗鬼を生ず、何でも怖いもの扱いしてしまうのだ。

勿論テロ行為は許すべきではないのだが、それに乗じて行われているこうした思想汚染は何とかならないものだろうか。

イスラム国 テロリストが国家をつくる時
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2件のコメント

  1.  宗教というのはどれも創設者を称え、人々の手本となるべき人物だとします。その為、創設者がどのように生きたのかということやその教えがその信者の方に大きな影響を持つことになります。
     イスラム教の創設者マホメットは、仏陀やキリストの生涯しか知らない人がその生涯を知ると、ええっと思わざるを得ないような生涯を送っています。ある意味、マホメットは仏陀やキリストと対照的な生き方をしています。そのことについては日下様も十分にご存じでしょうのでここでは語りません。
     マスコミにおいて、イスラム教の方やイスラム教を擁護する方は口を揃えて、イスラム教は平和的な宗教で他宗教に寛容だと語ります。しかし、彼らはみなマホメットの生涯について語ることはありません。また、他宗教に寛容な根拠も人頭税を掛けて、他宗教の信仰を許していたからといった物です。しかし、現実は他宗教といっても、イスラム教が認めた一部の宗教だけで、人頭税に耐えかねて、多くの人がイスラム教に改宗することになりました。イスラム教が誕生する前にカーバ神殿で奉じられていた多神教は根絶やしにされています。
     イスラム教において、マホメットの行いについて、批判的に語ることは宗教的タブーに触れるのかもしれません。過激派の怒りを買う可能性もあるのかもしれません。
     しかし、私としては、イスラム教の信仰に篤い方々がマホメットの行いをどう解釈するのか、はっきりしない限り、彼らを心から信用する気にはなれません。ISSが捕えた人々を奴隷として売買していることが問題になっています。しかし、マホメットが生きていた時代において、そうした事は一般的に行われていました。ISSの立場からすると、マホメットもなさっていたという事になるのでしょう。
     宗教においては、創設者を批判するというのはその宗教その物を否定しかねない危険な行為だと思います。その為、ISSのような絶対肯定の原理主義的な方達も現れるのでしょう。イスラム教徒の方々がそうした矛盾とどう折り合いを付けていかれるのか注視していきたいと思っております。

    1. コメントありがとうございます。

      TARO様が指摘なさったとおり、マホメット(イスラム教)は相当に攻撃的な政策を多く取りました。
      イスラム教においては、内側には優しく、外側には非常に厳しい面もあるのは客観的に見て否めないでしょう。

      宗教には「宗教的解釈」というものがあります。

      私の経験から申しますと「宗教的解釈」は宗教に浸かってみなければ理解が難しいものです。イスラム教には「聖戦」という言葉がありますが、この一言に込められた意味を外にいては十分つかむことはできません(私もわかりません)。キリスト教で言う「罪」の概念も、何がどう罪なのかは言語化した理屈としては理解しかねる部分があります。新興宗教の中には奇異に見える言葉や風習があることも多いですが、それなりに彼らの文脈の中でそうした言葉や行為は意味を持つものであることを是非覚えておいてほしいと思います。

      ISILが果たしてそういった宗教的解釈の中にあるのか、正直なところはわかりかねますが、一般的なイスラム教とは種類が違うことは間違いないと考えています。どういう結末を迎えるかによって、今後のイスラム圏におけるテロ活動全てに影響もあるでしょうね。

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