今振り返ってみるとすごすぎる水木しげる

先月より、講談社から水木しげる漫画大全集が刊行されている。

ゲゲゲの鬼太郎(1) (水木しげる漫画大全集)
水木 しげる
講談社 (2013-06-03)

改めて振り返ると、水木しげるの作品は妖怪ばかりである。

Wikipedia他で色々と調べてみると、妖怪マンガの第一人者というレベルではなく、水木しげるの功績により民俗学の用語でしかなかった「妖怪」が世間に浸透したという。また、世界妖怪協会会長という不思議な肩書きもあるらしい。水木しげるは、一介の有名漫画家ではなく、社会現象を引き起こし、人類に「妖怪」という新たな扉を開いた人だった。

Wikipediaの記述に面白い内容がある。

大泉実成『水木しげるの大冒険』によると、マレーシアのジャングルで、現地人に『水木しげるの妖怪画集』を見せたところ、「これは知っている」「これも知っている」と、猛烈な反応があった。それらの結果として水木は、「世界の妖怪は1000種類に集約される。世界各地の妖怪はほぼ共通している」という「妖怪千体説」を唱えるようになる。

水木しげるは妖怪に関しては民俗学者よりも権威がある。妖怪千体説は他には誰も唱えたことがない、妖怪に関して突き抜けた経験と知識と実績があるからこそ唱えることのできた理論である。水木しげるの妖怪大全集やその他作品を見れば、千体を越える妖怪が描かれているにも関わらず、それらは集約できると唱えているのである。一人で妖怪の百科事典を本格的に作成できる次元で彼は世界中の妖怪をかきあつめている。

そして勿論、その本文は漫画家である。漫画は娯楽でもあり教育でもあり社会風刺でもあった。「悪魔くん」においては救世主、世界を救うための哲学思想と戦争批判が唱えられ、「ゲゲゲの鬼太郎」においては時代ごとの日本における人間と自然の関係、心や考え方の問題が妖怪という表象を通して表現された。鬼太郎シリーズが子供向けにも何度もリメイクされるのはそうした意味もあるのである。

私個人としては、米子空港が米子鬼太郎空港になるとか、駅の名前も妖怪の名前をつけていくとか、そうした鳥取県のやり方はやりすぎだと思っていた。しかし、水木しげるの知名度や功績を知るにつれ、やりすぎでもないのかもしれないと思うようになった。空を飛ぶ飛行機には一反木綿に乗った鬼太郎が、地上を走る電車には妖怪たちが、ガイナーレ鳥取のマスコットには鬼太郎とぬりかべが。鳥取県は妖怪たちに囲まれてはいるが、気持ち悪いということもない。妖怪なのでおどろおどろしい雰囲気もあるのだが、子供たちにも受け入れられている。むしろ、それを使ってうまく教育もしているから、子供たちもよく育っている。基本的に平和そのものだ。

そして、水木しげるが直接的に新作を生み出すことは少なくなっているとはいえ、その蓄積してきたコンテンツ力はものすごい。水木プロダクションのホームページのおすすめグッズの項には、驚くほど多くの商品が展開されている。LINEのスタンプやスマホ用の日めくり妖怪カレンダーなど、最新技術にも対応したものが続々登場している。こうした多角的な働きかけは水木しげるの柔軟さと勤勉さを示すものだろう。

社会的なインパクトとして残った水木しげるの功績は、日本という国を越えてどんどん拡大していくだろう。水木しげる漫画大全集は、今後、どんどんその価値を増して行くだろうと思われる。手塚治虫が、不二子不二夫が、赤塚不二夫がそうだったように、水木しげるも現在進行形で伝説の漫画家なのだ。

日本という、シャーマニズムが色濃く残る国において、妖怪への感性と畏怖は消えることは無いだろうことを考えると、まさに妖怪たちに市民権を与え、千年王国を作った救世主が水木しげるだったのである。

2件のコメント

  1. >日本という、シャーマニズムが色濃く残る国において、妖怪への感性と畏怖は消えることは無いだろう

    シャーマニズムじゃなくてアニミズムでしょ。

    1. 妖怪的なものを信仰してる例は見られますよ。狐憑きなんて言葉がありますが、稲荷などは一つの守護霊のように扱っていて修法や託宣をもらうために積極的に下す場合も見られます。これらはシャーマニズムに該当します。シャーマニズムとアニミズムの境界線も難しいのですが、本稿では妖怪を通してただの問題ではなく、何かの教訓・示唆を受けようとしている様をシャーマニズムという認識で捉えています。妖怪ウォッチも同様の感覚から来ているものではないかと感じますね。

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