Amazonで僧侶まで本当に販売されている話

Amazonが僧侶まで販売するということを記事で見たのだが、実際にAmazonで調べてみたら本当に始まっていた。誰かが「僧料無料ではなかった」と上手いことを言っていたが、人件費ですから流石にソレは。

お坊さん便 戒名・法名の授与
株式会社みんれび

ここに挙げている以外にも商品ラインナップはたくさんあるので、興味のある方は見てみてもらえたらと思う。

実際には取り扱っているのは「株式会社みんれび」という企業で、以前からネットでそうした僧侶の手配代行をするサービスを行っている。Amazonはあくまで、販売網を提供しているだけである。

こうして考えると、もはやAmazonには売れないものは無いのだということを感じるしかない。そのうち、土地も権利書も何でも売りに出されるようになるだろう。すると、社会的インフラのひとつのようになるのかもしれないし、Amazonをプラットフォームにしたビジネスモデルを考える人も出てくることだろう。

それは専門外なのでその分野の方に弁説は譲りたいと思うのだが、こうした法事法要が手配式になっている現状から、檀家制度の崩壊を見るしかない。

檀家制度は寺請制度ともいい、江戸時代に宗教統制の一環として行われたもので、民衆と寺とを結びつける制度であった。民衆には死後への安心が与えられ、寺院には一定の信徒が与えられ、幕府には出先機関としての寺、そしてキリシタンでない民衆が与えられるという、道徳・倫理感を無視するなら非常に都合の良い法制度であった。

それから廃仏毀釈によってそうした権利は失われ、それまでは神仏習合が進められていたのに今度は分離が始まるようになり、日本の仏教界は残念ながら勢力を小さくしていくようになる。

しかし、仏壇や法要など一部はそのまま形を残して現代に続いている。

だが、形が残っても実際にそれを維持することも発展することも難しく、主に衰退しながら様々な新興宗教に教勢も奪われつつある昨今である。

しかしながら先見の明のある僧も多いのか、持って生まれた商才があるのか、意外とネット社会に対応しており、ネット上で葬儀や、ネットを利用した僧侶向けの見合いサイト、葬儀・法要などのネット受託などのサービスがどんどん出ているのが神道やキリスト教と比べると活発に感じられる。寺を貸して芸術公演をさせたり、ダイエット用の断食道場にさせるなど、割と世俗社会に協力的であると感じる。

私の知るキリスト教の牧師は「僧は山に上って修行し、キリスト教徒は町へ下りて修行する」と言っていたが、それは今は昔の話になっているのかもしれない。

もともと、日本の仏教はいわゆる大乗仏教であり、釈迦が修行して悟りを開いたようなものとは種類が違っている。大乗仏教の特徴は万民救済であるため、大衆化しやすい面がある。そこがストイックな上座部仏教とは違って、世俗との交流をおろそかにしない寺院風土を作っているのかもしれない。

現代仏壇をはじめ、モダンという表現が好きな仏具店などではもはや家具やインテリアとしての仏壇を目指している。イタリア製の仏壇など宗教的なありがたみは薄いと思うのだが、高級品としての品格を放っていたりする。

そんな景気のいい話はなかなか多くはなく、今は寺院の消滅とともに仏具屋も厳しい状況にあるようだ。石材店はしばらくは安泰だと言われているが、それも1世紀内には状況が変わるのではないだろうか。

仏教界だけを見ていても、カネがすべてとまでは言わないが、経済の影響は非常に大きいと言わざるを得ない。

市民ボランティアやNPO活動の世界でも、宗教の世界でも、無私無欲・無料での活動を目指そうと思えば、どうしても経済の問題は避けられず、そうした団体の幹部たちの会議では経済の話題が出ないことはほとんどない。

経済と宗教は切り離して考えたいのは末端信徒たちや外部の人々の夢想であることが多く、実際、経済は現代において宗教よりも強いのである。もっと言えば政府よりも強い。

なんだかんだ言って、googleやAmazon、Microsoftに誰も逆らうことができないのは、彼らの経済力・経済圏があまりにも大きいからである。

カネに汚いのは良いことではないが、もう少し宗教と経済が近づくことに対して、社会が寛容な目を向けてもいいのではないかと思うところだ。

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